タッチ! あ! GO!!!【後半】
南紀・立合川(たちあごう)の記録、後半です。
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2日目(9/22)
「え、寝てないの!? 危ないじゃん! 行動できるの? 気をつけてよ!」
という血も涙もない言葉で一日が始まる。
下界であれば一睨みしてお尻を蹴り飛ばしたのち一晩かけて剥がした数十匹のマダニ入りテントに幽閉でもしてやりたいところだが、ここは沢。わたしは遡行したい。
立合川が待っているんだ。
(一応ちょっとだけ心配してくれてたらしい)
で、寝不足の割にはシャッキリとした頭で行動開始。
木馬道が途切れる手前のルンゼから沢筋に降り、小さな滝を越えると一旦ゴルジュが途切れる。
でもほんのちょっと進んだところからすぐにデンと両岸が立ち、第三ゴルジュ突入。
現れた5 m滝は釜が大きくて登れそうも無い。
釜の奥の方へ、右の枝沢から落ちる大きな滝だけちらっと見物して、右岸の岩壁から巻くことに。
しかし、この岩壁、下部の3〜4 mほどが完全なツルツル。
「えええ〜〜〜ここ行くの〜〜〜」
「だってここしかないよこのくらい行けるっしょ〜〜〜」
トップはアクアステルスのフリクションでへばりついて登っていったけど、私のフェルトでは足を踏み出しては滑り、踏み出しては滑り。全く進めない。歯が立たない。
そう、よりによって、いつものステルス沢靴ではなくフェルトソールで来ていたのです。
というのも、とても岩がヌメっている沢なのでフェルトソールを強くオススメする、という沢登り界のえらい方の言葉を事前に聞いていたから。沢の経験の少ない私はこの言葉を鵜呑みにし、わざわざフェルト靴を新調して予備山行までして気合いを入れていた。にも関わらず、ここまで明らかにステルスの方が歩きやすそうな岩が続いていた。
ズルズル滑るし、スタンスに乗り込みづらいし、なんともやりにくい。
もしや靴の選択を間違えたんじゃないか、という思いが頭をよぎる中、満を持してこのツルツル岩の登場。
絶望的なまでに無力な足下。
結局、ハッチがあれやこれやと工夫して引っ張り上げてくれたおかげでなんとかスタンスのある場所まで上がることができました。
この大高巻きを終え、しばらく進むといよいよ第四ゴルジュ。
光のカーテンが出迎えてくれる。
竜の喉元に迷い込んだかのような。
死んだらこんなところへ来たいなぁ。
屈曲した谷に、白く短いナメと碧に輝く丸い釜とが交互に現れる。
竜が抱く玉、なのだろう。
お願い、もう勘弁して・・・。
とにかく変化に富んだとびきりの素晴らしい渓相が次から次へと現れ、私には刺激が強すぎる。
落ち着く間もなく絶景に襲われるんだけど、うっかり感動に浸って涙を流してしまっては危険だからと一生懸命我慢しているのだ。
だというのに、まったく、本当に、容赦が無い。
お願いだようーもうやめて〜〜!!
立合川「やめないもん!」
ヽ(*´□`)ノ
滝は人知れず地を叩き続け、
岩をくり抜き、
切り裂いてゆく。
ゴルジュとゴルジュの間には森の沢歩き。
緑が深く濃く、沢筋に通うほんのり涼しい空気が頬に気持ちいい。
こうして第五、第六、第七とゴルジュを巻き、第八ゴルジュの入り口付近の河原を2泊目の幕場とした。
この日の晩ご飯は豚骨ベースの水餃子鍋。
ハッチの持ってきてくれたビリー缶、ただでさえボロボロだったのが山行中も順調に劣化を続け、ついに取っ手が取れてしまった。
ごまかしごまかし使うけれど、うっかりすると鍋が焚き火の火中に置き去りになってしまう。おかげでハラハラドキドキの楽しい鍋になった。
(追悼;今回の山行を最後にその短い生涯に幕を閉じたビリー缶、1日目の幕場にて)
水量のある滝が多いせいかここまであまり魚影はなかったけれど、小さな淀みに大小のハヤがたむろしていた。
私が近づくとサッと岩陰へ隠れる。
ところが、鍋を洗いに行くとあっという間に十数匹集まってきて、パクパクと食べかすを求めて手元に集まってくる。何度か手を突っ込むうちに、奴らも学習したのか手を入れても逃げるそぶりすら見せなくなり、それどころか喜んで集まってくるようになった。
かわいくて食べちゃいたいくらい。
網を持ってきてたら入れ食い状態だっただろうなぁ。
さて寝床に向かいしな首に手を回すとうなじにペットリ貼りついているものが。
びっくりして剥がしてみるとヒルさんじゃないのお久しぶりー!
グランドシートにマダニもヒルも陣取っていて、まったくもう冗談じゃない。
急遽川のすぐそばへツェルトを移動して寝ることにした。
ようやくの安眠を得ることができた、むしろ寝過ぎた。
*
3日目(9/23)
大寝坊。
3回鳴るように設定していた目覚ましに1つとして気付くこと無く爆睡していた。
私は起床係には向いていない。
いよいよ最終日、第八ゴルジュへ。
3日目ともなると期待感などとうに忘れてしまい、ただもうこの素晴らしい渓谷に浸っている幸せの中で恍惚として進む。
満たされすぎていて、もうオーバーフローというかおなかいっぱいというか、これ以上何かを求めるとかいう気持ちがなくなっていた。
ありがたい。こんなに素晴らしい場所にいさせてもらえて、ありがたい。
体力も余っているので、おニューのファイントラック水かき付きグローブを使って積極的にゴルジュ泳ぎ。
すいすい進む! まるで泳ぎがうまくなったみたい!!
ジリジリへつるより断然楽で楽しくって、2人が側壁を行っている間も私はカエルさんと一緒にチャポチャポ進む。
右手にはでっかい嵓が迫り、ゴルジュ気分もピカイチ!
長い廊下が続いたあと、目の前の壁がひときわ狭くなり折れる。
いよいよこの谷もお終いか・・・と少し寂しくなりながら岩をたどっていく。
と、そこには谷をふさいで天より落つる二条の滝。
不意打ちだった。
あまりにも神のようだった。
最後の最後に。
ああ。
もう、駄目だった。目が熱くなってしまって、うわぁ、とこみ上げてしまった。
山には神が宿る。
そのことはいろいろな山でたびたび感じてきたことではあったけれど、今回ほど、その存在をこれほど間近にしかも圧倒的に感じたことはなかった。
細くて、とびきり大きいわけでもない滝なんだけれど、
まるで目の前で山の神が美しい歌を歌っているような、澄んだ空間だった。
最後のゴルジュの、本当に最後。
ハチみつも別れを惜しむように写真を撮ったりぼうっと眺めたりしていた。
この滝を巻き大岩のゴーロ帯を進んでいくと、大岩に囲まれた水たまりにハッとした。
水は少し離れたところを流れていて、ここへ入ってくることも出ていくこともない。
まるで時が止まったようにピンとして微動だにしない水面。3匹のハヤ。
取り残されてずいぶん時間が経っているように見えるのに濁り一つなくて、こんなに上流なのに魚がいる。
さらに詰めていくと、かつて平家の落人が身を隠していたという八丁河原が広がる。
そこには朽ちた植林小屋があって、散乱した何十もの一升瓶は森に食べられ始めていた。
今となっては登山道からも遠く長い谷を遡行しなければたどり着けない場所に、かつて人がいたのだ。
そのままゴーロを詰め、最後に切り立った斜面を慎重に上がると稜線の登山道に出る。
あとは夢の余韻に浸りながら下山するだけ。
ホッとして、急におなかが減る。
京都から持ってきた生八ツ橋があることを思い出した。
遠くから来ている2人に関西ならではのものを少しおすそわけしようと持ってきていたものの、3日間完全に忘れていた。
取り出して3人で食べる。甘くて美味しい。
温かな日だまりの中、誰も居ない静かな奥駈道を進んでいく。
いい沢だったね。
すごいところだったね。
はるばる来てよかった。
もっと長く登っていたかったな。
今度はどこへ行こうか。
上葛川へ下山して、臭くなった靴と装備と身体を水で清め、バス停でひなたぼっこ。
集落で「どこへ行ってきたの」とおじいさんに話しかけられる。
「立合川です」と答える。
「たちあごう・・・」とつぶやいて遠くを見て少し考えたあと、「それはあっちの方だね」と山の向こう側を指し、また黙っている。
いくら地元の人でも山を歩かなければよく知らないのかな、と思っていると、「尾根の下の小屋はまだあるのかい」と尋ねられた。
あそこのことだろうか。沢を遡行しなければ行けないような小屋のことを知っているのか。
「八丁河原のやつですか? まだ残っていました、廃墟ですけど」と答えると、「そう、それや。昔は仕事道が続いていてな、わしが小学生くらいの頃は何日か泊まり込みでアルバイトしに行ってたんや」と意外な答えが返ってきた。
「あそこには林業をする人たちが住んでいたんだよ。わしはときどき手伝いをしに行ってお金をもらってた。何十年も前の話だな。もうあそこで働く人はいないが」
そうなのかと驚く。
人が時々行っていた程度だと思っていたら、住んでいる人がいただなんて。
「あの小屋はまだ残っているのかぁ……」と少し遠い目をして、おじいさんは庭の芝を刈りにテコテコと戻っていった。
*
立合川は本当に数え切れないほど見所だらけの沢で、全てまともに味わうには脳内リソースがあまりにも足りない。
次から次へと刺激強めのすごいやつが現れるせいで、遡行している最中だというのにすでに通り過ぎてきたゴルジュにどんな滝があったかとか思い出せないほど。
こんなに大いなるものに触れさせてもらえて、立合川には感謝してもしきれない。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ただでさえ危なっかしいところがフェルトのずるずるによって4割増しになり、特に後ろからフォローしてくれたハッチには迷惑をかけっぱなしだった。
すみません。ありがとう。
みつお氏は定番の鬼コーチモードで、何度か怒られた。
うむ。
いま、遡行から1ヶ月くらい経って断片的だった記録をまとめていて、遡行中は忘れていた細かいことをたくさん覚えていることに気付いた。些細な会話やルート取り、どういうところで渡渉したとかの細かい動き、どの順番で何が登場したか。
きっと、一つ一つのことに集中していて、目一杯に楽しんで、いっぱい感じ取るものがあったんだろう。
東京から来た2人も、はるばる来る価値があった本当に素晴らしいところだったと大喜びしてくれていた。
そんなにたくさんは来れないけれど年に1、2回は遠征したいとか言っていた。
おうおう。どんどん来てくれ。
思い切って紀伊の沢に誘って、本当によかったよ。
思いが深まる山行だった。
しばらくしたらまた行きたいな。立合川。
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ハッチの記録→
9月21-23日 北山川支流 立合川 - ウィークエンド・クライマーのチラシの裏
みつお氏の記録→